今日は若いペです。

関東の人にはわかんないでしょうけど、ペヤングって、長いこと九州じゃ販売してなかったんですよね。福岡に入ってきたのは、ここ10年くらいで。ほかの県では未だに流通してないのかもしれません。
その名前を聞いたり、写真を見たことはあるけど、食したこともなければ、実物を見たことすらない。それが九州人にとってのペヤングだったのです。あなたの幻を愛したように、まだ見ぬペヤングに恋い焦がれる。それが10年前までの九州人でした。
味はなんか、ソースがさっぱりしてて、スパイスが効いてますね。甘味の強い濃厚ソースとはまた違った味わい。
ところでペヤングって、期間限定でいろんな味のやつ出てるじゃないですか。一度、そばめし味ってのがあったんですよね。いや、それは普通のソース味だろって思いましたよ。お米も入ってるならまあわかりますけど、味だけそば飯だってんなら、そりゃ普通の焼きそばと変わらないソース味でしょ。
なんだかなぁ、ですよね。それだけ商品開発の担当者が、ネタに困ってるってことなんでしょうけど。
とにもかくにも、ペヤングはようやく九州人にとってもお馴染みのカップ焼きそばとなったのです。若さは失われても、おいしさはなくならない。
九州と関東。つまりは地方と中央。そう、地方と中央にかんする話をしましょう。「お前ら何様だ」と言いたくなる話。
テレビを観ていると、よく中央の都合に付き合わされていると感じることがあります。
たとえば、ニュース番組。よく女子アナなんかがニュースの冒頭で、「今日は天気がよくて気持ちいい1日でしたね~」とか、「昨日は急に雨が降って大変でしたね~」などと会話してたりするじゃないですか。親しみやすさを感じられるよう、何気ないおしゃべりから番組をスタートさせる、という計算があるんでしょうけど。
でも僕は、その手の会話を聞くにつけ、「東京の天気なんざ知るかボケ」と思うんですよね。知りませんよ、九州にいたら、東京の天気なんか。
テメーらの局地的な話題に付き合わせんじゃねーよって。地方はみんな中央の出来事に関心持ってるとでも思ってんのか?それとも、興味がまったくなかったとしても、地方は中央の話題に付き合うべきだとでもいうのか?
なんか、ウンザリするんですよね。中央の、この思い上がりというか、地方にいっさい配慮しない無神経さに。ひょとしたら、配慮すべき要素があることにすら気づいていないのかもしれません。
このように、地方が中央に付き合わされる、という事態はよく起こりがちです。
たとえば、築地市場の豊洲移転問題。一時期は連日のようにニュースで取り上げられてましたけど、これだって「中央の問題」ですよね。
それなりに大きな社会事業であったのはたしかですが、その影響を直接こうむるのは、東京都民、あるいは範囲を広げて、せいぜい関東圏の人達であって、地方の人間にとっちゃ、なんの利害もないわけですよ。だから、「移転先は豊洲でいいのか」などと問われても、「いや知らんよ、カンケーねーし」としか思えなかったのです。関東圏だけで報じてくれよって。
メディアの中枢が東京に集中しているため、東京の出来事が優先的、かつ大々的に報じられがち、という傾向もありますね。
同じくらいの規模の交通事故であっても、東京のそれのほうが扱いが大きいし、火事や強盗が報じられる選択率も、東京で起きたそれのほうが高い。このような偏りがあるわけです。これもまた、一種の偏向報道。
この偏りのせいで、「東京は犯罪が多い」という印象を持ってしまう人がいるのです。まあ実際、人口が多いからそのぶん件数も多くなるんでしょうけど、発生率でいったらそこまで高いとは言えないでしょうね。発生率を見ましょう、発生率を。
上野動物園のパンダがどうしたとか、しょっちゅう報じられていたのもそのせいでしょう。動物園は簡単に取材に行けてラクだし、そこそこ数字取れるし、番組尺の調整にも使える。「悲惨な出来事が多い中、一服の清涼剤を」という意味合いもあったんでしょうね。だから双子パンダの珍珍と瓶瓶が返還されるまで、ことあるごとに「パンダがどうした」というニュースが報じられていたのです。
ラクしてそこそこ数字が取れる、パンダニュース。報道のプライドがみじんも感じられませんね。
知識が乏しい話題に付き合わされることもありますね。
たとえば、シウマイ弁当。崎陽軒のシウマイ弁当ってあるじゃないですか。神奈川の会社でしたっけ、崎陽軒。
そのシウマイ弁当を、「どんな順番で食べる?」っていう問いかけがあるんですよ。シウマイのほかにも、マグロだのタケノコだのアンズだの、いろいろなおかずが入っているから、それらをどんな順序で食べるか、ご飯とおかずをどう食べ進めるか、あるいは醤油とカラシをどんな手順で付けるかという、ひとりひとりのこだわりを聞き比べる問いなのです。
関東在住の人、もしくはしょっちゅう関東におもむく用事がある人なんかは、何度もシウマイ弁当を食べたことがあり、その味に慣れ親しんでいるでしょうから、「私はこう食べます」っていう、自分なりの食べルートがあるでしょう。その人達は、「どんな順番で食べる?」という問いに、ノリノリで参加することができるはずです。
でも、地方の人間はそうじゃない。シウマイ弁当に、さほど馴染みがないのです。あるいは、1度も食べたことがないって人も、けっこういる。
僕もそのひとりです。僕はシウマイ弁当を、1度も食べたことがない。
だから、いかにも楽しげに、「どんな順番で食べる?」などという話題をふられても困るのです。「誰しもがシウマイ弁当食べたことあると思ってんじゃねーよ」と言いたくなる。
飲食店も、関東には当たり前にあるチェーン店が、九州にはなかったりしますからね。
ファミレスだと、ジョナサンやデニーズはありません。それらのお店が、誰しも1度は行ったことがあるかのように話されても困るのです。
このように、地方には馴染みのないものの話題に付き合わされることって、数え上げればキリがないくらいしょっちゅう起きてるでしょうね。国があれば、どうしたってその中枢が必要ですから、「地方と中央」という2項は、避けがたく生まれます。政治の中枢には、メディアの中枢も貼りつく。そうなれば、「地方と中央」の偏りは、より大きくなる。
つまりこれは、ある程度致し方ないことではあるのです。どうしたって、偏りは出てくる。
でも、もうちょっとその事実に自覚的であってほしい。もう少し、配慮がほしい。
地方の人間にはわからん話題を、さもわかって当然とばかりに切り出さないでほしい。何が日本全国で通じる話題か、何が中央限定の話題か。その区別について考えてほしい。
すべての話題について、完璧な区別をつけることまでは不可能でしょう。でも、区別をつけようとする心がまえだけは、常日頃から持っていてほしい。
地方と中央、どうしたって偏りは生まれます。完璧な均等など、望むべくもない。
でもそれでも、できるだけ均等であろうと心がけることはできる。「偏りがある」という事実を、認識しながら発言することはできます。
中央の人達は、どれだけそのような配慮をすることができるか。「知らねーことを話すな」という地方の反発を、どれだけ少なく抑え込むことができるか。
ある程度、できることはあるはずです。努力の余地はある。ようは、それを自覚できるかどうか。
中央がその特権にあぐらをかいて、地方の反発を無視していれば、この状況は何も変わりません。変わることができるか。変える気はあるのか。
どうなんでしょうね。