今日は回避する乳製品です。






さいても、さかなくてもおいしいけれど、一応さくのが礼儀のような気がするチーズ。でもさいたほうが食感がよくなります。
いや、なかなか革命的な食べ物だと思いますよ。どうやって作ってるのか気になるところです。
そう、さける。さけた話をしましょう。ビリビリな話。
僕は長年、一着のドテラを愛用していました。日本伝統の防寒着、ドテラ。はんてんとか綿入れなどとも言いますね。
そーいや『ドテラマン』ってアニメもありましたね。子供のころ観てて、内容ほぼ覚えてないけど、たしかドテラを着たら強くなって敵と戦うみたいな、そんな話でした。小学生の兄妹が主人公だったような。覚えてる人います?『ドテラマン』。
それはともかく、僕のそのドテラ、たぶん10代後半ぐらいに買ったやつだったと思いますけど、それを長年にわたって着続けていたのです。僕にとっての冬の顔だったんですね。
したらまあ、だんだんすり減ってくるんですよ、生地が。長年使ってりゃ当然そうなります。
オモテはわりと丈夫な生地なんですけど、裏地はそれより柔らかいんですね。それに、腕通したりするときにこすれるから、すり減りやすいわけです。なので、裏地がどんどん薄くなっていったのです。
それでもそのまま使い続けていました。するとある日、裏地がやぶれました。どんなキッカケだったか覚えていないのですが、裂け目ができてしまったのです。
なので、小学校の家庭科の授業で使っていた裁縫セットを取り出し、裂け目を縫い合わせました。
そんなことが、何度か起きました。すり減って薄くなり、やぶれやすくなっていた裏地が、ちょっとしたキッカケで裂けてしまう。それを針と糸で補修する。
そのようにして、ドテラを維持してきたのです。しかし、それにも限界がきました。
あまりにも裏地が薄くなりすぎて、縫うことすらできなくなってしまったのです。糸に耐えられるだけの厚みがなくなってしまったのです。
もし、ムリに縫おうとすれば、縫い目にそってまたやぶれてしまうでしょう。縫って修繕することができなくなってしまったのです。
もはややぶれ目ができても、どうすることもできない。生地には、糸をつなぎとめておける強度がない。やぶれたまま着続けるしかなくなってしまったのです。
こうなると、洗濯もできません。やぶれ目がそのままなので、ワタが見えています。その状態で洗濯したら、ワタが流れ出してしまうでしょう。
なので、洗濯もしないまま着続けることにしました。そうなっても着ていたかったのです。どうせ家の中でしか着ないし、見た目は気にしませんでした。
やぶれ目は、どんどんひどくなっていきました。やぶれたままの場所に、手が引っかかってしまうことがあり、さらにやぶれ目が大きくなるのです。
こうなるともう、悪循環です。やぶれ目が大きくなると、さらに手が引っかかりやすくなり、また手が引っかかるとさらにやぶれ目が大きくなる。やぶれ目は、際限なく拡がっていきました。
ドテラはズタズタになっていきました。あたかも昔話にでてくる貧乏神のように、生地がたれ下がったドテラを着ていたのです。
そんでもう、中のワタを押しとどめておくことができないくらいビリビリになって、もう限界と買い替えました。今は快適なドテラライフを送っています。
買い替えたのは、40歳ちょい前くらいでしたかね。20年は着続けていたのです。
この話を聞いて、どう思いました?「さっさと買い替えろよ」って思いましたか?
いやでもね、昔はこれくらいが当たり前だったと思うんですよ。そう簡単には買い替えず、着れるまで着るってのがね。
今はもう、すぐに買い替えますね。まだ着れるのに、流行が過ぎたからって。
スマホとかもそうですよ。新機種出たら、ギガが多いだの機能が便利だのって買い替えるでしょ。そんでまだ使えるやつを処分するでしょ。
モノは壊れるまで使うべきだと思うんですけどね。そのほうが普通じゃないかって。
みんな、服でもスマホでもポンポン買い替えて、それが当たり前のような顔してますよね。で、そんな暮らしを送っていながら、「地球環境が大事」だの、「SDGs」だの言ってるじゃないですか。
どんなブラックジョークだよって思いますけどね。環境保護になる暮らししてねーじゃんって。本心じゃ地球環境のことなんかどーでもいいと思ってんじゃねーのって。
僕ね、SDGsって考え方に懐疑的なんですよ。今の文明レベル維持したまま地球環境保とうなんて、そんなムシのいい話ないだろって。環境どうにかしたいんなら、文明レベルを原始人まで下げなきゃダメだろって。それができない環境保護は、口先だけのおためごかしだと。
ほとんどの人は、SDGsって呼ばれてることチョロっとだけやって、これでもう大丈夫とばかりに、環境に負荷のかかることをガンガンやってるでしょ。それって、罪の意識から逃れるためにやってるだけで、実際は環境のためにはなってないんですよね。だからおためごかしなんです。
100やってる環境破壊を97に減らしてるだけでね。3なくして、「ああよかった、これで地球は大丈夫だ」って安心してますけど、いや、97のほうに目を向けろよって。97をどうにかしなきゃ、根本変わらねーだろって。そーゆー話ですよ。
それに比べたら、SDGsに懐疑的な僕のほうが、よっぽどSDGsな生活送ってますよ。服はボロボロになるまで着るし、ケータイは壊れるまで使いますしね。
初めてケータイ買ったのが2000年で、約10年間使いました。今が2代目で、約15年使ってます。いいかげん買い替えようと思ってはいますけどね。もうガラケー使えなくなるし。
で、僕のそのケータイを、「まだそんなん使ってんのか」ってバカにしてくる連中は、口先ばかり地球環境を憂いているだけで、環境保護に適った生活を送ってはいないのですよ。なんなんでしょうね、もう。
僕ね、もうあきらめるしかないんじゃないかって思ってますよ。もう人類は、やりたい放題好き勝手やって、滅びるときが来たらいさぎよく滅びるしかないんじゃないかって。
え?反社会的なこと言うなって?
いや、ただ現実的なだけだと思いますけどね。だったら、環境保護に反した暮らしを送りながら、口先だけ地球の未来を憂いていればいいのですか?どのみち、行き着く先は同じだと思いますけどね。
まあいいですよ、好きにしてください。今まで通り、服もスマホもガンガン買い替えて、なんちゃってSDGsで自己満足にひたっててくださいよ。僕が何言ってもどうしようもないですからね。どうぞお好きに。
さて、人類が滅びる前に、さけるチーズを存分に味わっとくとしましょうか。
ところで、今年も暑いですね。猛暑ですね。
年々平均気温が上がってんじゃねーかっていう今日このごろの地球ですが、僕は暑さの感じ方がちょっとずつ変わってきてるんですよね。これまでは36℃を超えると耐えがたさを覚えていたのですが、最近はそうでもなくなってきたのです。
今は、36℃を超えると、しんどいことはしんどいのですが、耐えられないことはないというか、ガマンしようと思えばできるようになってきたのです。
以前はそうではありませんでした。汗っかきなこともあり、際限なく汗を噴き出しながら、避難場所を求めてさまよわずにはいられなかったのです。それが、今はなんとか耐えられるようになってきたのです。汗も、以前ほどかかなくなりました。
問題は、なぜ耐えられるようになってきたか、です。
ひとつは、毎年酷暑にさらされたことで、暑さに耐性がついてきた、という変化が考えられます。もうひとつ考えられるのが、老化の一種で、暑さを正確に感じ取れなくなってきた、という可能性。
前者ならいいですけど、後者なら困ります。体が暑さを感じているのに、頭がそれを理解できていないということだからです。そうなると、暑さから避難すべき体調であるにもかかわらず、そのまま暑い場所にい続けてしまい、気がついたときには熱中症になってしまう、ということが起こりえるかもしれないのです。最悪、命にかかわります。
恐ろしくはありますが、熱中症で亡くなるお年寄りの感覚がちょっとだけわかった気がします。皆さんもお気をつけください。