徳丸無明のブログ

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良品計画 不揃いバナナバウム・不揃い紅茶バウム・不揃いメープルバウム

今日はふぞろいのバウムたちです。

 

 

 

 

 

無印良品のバウムクーヘン。いつのまにやら人気が出て、不動の定番商品に。

水分少なめだとパサパサしてて食べづらいんですけど、これはシットリしてます。輪切りじゃなくて、タテに切ってあるのがまたいいんですよね。

期間限定で、ヨーグルト味とかチャイ味とか焼きりんご味とかもあったんですけど、もう手に入りません。再販を祈りつつ、今回は定番のベスト3をお届け。

厳しい購買競争に勝ち残った3種。まさに神3。

そう、競争。競い合うことについて話しましょう。「みんな時代の制約を受けている」という話。

小学5年のとき、林間学校がありました。2泊3日で、たしか2日目に、山登りがありました。登頂の速さで順位をつけ、10位以内は表彰されることになっていました。

僕は友達のYと登ったのですが、2人とも競争には興味がありませんでした。なのでスタートの号令がかかり、みんないっせいに山頂へ駆け出してからも、「我々はのんびり行きますかぁ」「そうですなぁ」などとつぶやきつつ、後方からゆっくり歩きだしたのです。

そしたら、それを見ていた担任の教師が、「コラッ、お前ら!ひとりでも多く抜いてやろうという気持ちを持たんか!」と怒鳴りつけてきました。僕らはやむを得ず、走り出しました。

そのまま山頂まで、できるだけ速度を緩めずに登り続けました。全力は出したものの、スタートが大きく出遅れていたため、たいした順位にはなれませんでした。なにより、急ぐことに集中したため、Yとはひとこともおしゃべりができず、登山をいっさい楽しめませんでした。

また、小学6年のときのことです。冬季にマラソン大会が開催されました。学校の周囲をぐるりとめぐるマラソンです。途中に勾配のキツイ坂道の上り下りがあるコースで、3~5キロほどあったでしょうか。

僕は特別足が速いわけでも、体力があるわけでもなかったので、順位は中の下くらいでした。

ゴールしたら、順位の書かれた番号札を渡されました。番号札は、成績を評価するため、担任の教師に提出することになっていました。

番号札を提出した際、教師は、「遅い番号の札は見たくないなぁ」と、いやみったらしい口調で言い放ちました。そのときの腹立たしさは、今でもよく覚えています。

 

5年のときの担任も、6年のときの担任も、ともに30代くらいで、体育会系タイプの男性教師でした(5年の担任は、空手部の顧問でもありました)。2人とも、競争を当たり前のものと認識しており、そこから降りるのは許されないことだと考えていたようです。生徒を競争に駆り立てるのが教師の務めであり、勝者には称賛を、敗者には罵倒や冷笑を浴びせるのが当然のことと見なしていたようです。

僕は、競争を強要されるのが不快でした。競争したい人だけ競争していればいいのではないか。なぜ他人を蹴落とさねばならないのか。他人を蹴落とすのではなく、順位をゆずるようなやり方だって認められていいのではないか。

自分が勝つということは、そのぶん誰かが負けるということであり、自分が順位を上げるということは、そのぶん誰かが順位を下げてしまうということです。誰かを蹴落としてまで勝ちたいとは思わない。誰かを蹴落としてまで順位を上げたいとは思わない。そんな選択も認められるべきではないのか。

当時はここまで明確に自分の感情を言語化できてはいなかったかもしれませんが、うっすらとこんなことを考えていたのです。競争という行為に、疑問を抱いていた。

なにより、「負けた人はどうしたらいいんだろう」と思っていたのです。競争があれば、否応なく敗者が生まれます。教師は勝者しか見ていないようですが、その陰には敗者がいる。どうしたって生み出されてしまう敗者がいて、その人が冷遇されたり傷ついていたりしたら、どうしてあげればいいのだろう。僕は自分が勝つことより、そちらのほうが気になっていました。

仮に「負けた人はどうすればいいのか」という疑問を当時の教師にぶつけたとしたら、たぶん「次は勝てるよう努力しろ」という答えが返ってきたでしょう。でも、そういうことじゃないんです。負けた人が次に勝ったとしても、今度はほかの誰かが敗者になるだけです。僕が考えていたのは、「競争をする以上、どうしたって敗者は生み出されてしまう」という「競争の構造」なのです。当時の教師は、そのように競争の構造について深く考えることはなく、ただひたすらに、生徒を競争に駆り立てているだけでした。

5年のときの担任も、6年のときの担任も、競争することをいっさい疑っていませんでした。それは参加して当然の、疑う余地のない義務ととらえていたのです。

なぜ彼らは、競争を疑わなかったのでしょう。それは、彼らが教師だったからかもしれません。

彼らが教職に就いていたということは、教職員免許を取得しているということであり、中学や高校のころからそれなりにいい成績を収め、いい大学に進学してきたということです。つまり彼らはほぼ、その人生の競争において、「勝ってきた」のです。彼らは、これまで経験してきた競争の、そのほとんどで「勝者」という結果を出してきた。

だから勝ちを目指すのが当たり前だし、競争から外れるなどとんでもないことだと思い込んでいたのです。「競争から降りる自由もあるべき」とは、考えることができない。そして、敗者の気持ちもよくわからないから、平気で冷笑を浴びせることもできる。

 

当時は、教師による体罰も、当たり前のように横行していました。一部には「体罰はよくないのではないか」という声も上がっていましたが、大半の大人は体罰を肯定、もしくは黙認しており、教師が体罰を振るっても、生徒が重症にでもならない限り、処罰されることもなければ、社会問題になることもありませんでした。体罰が禁じられるようになったのは、もう少しあとのことで、当時は体罰反対派が増えだす移行期でした。

なので当然、彼らから体罰を受けることもありました。「男なら泣くな」みたいな、今となっては時代錯誤の発言も、正当な教育としてまかり通っていました。

それら「当たり前の教育」を、不快に感じながらも、否定するすべなく受け続けてきたのです。んで大人になった今、当時を振り返って、「やっぱイヤだったな。アイツらロクでもなかったな」と思わざるを得ないのです。

ただ、一歩引いて考えると、彼らもまた、「時代の被害者」と言えるのかもしれないのです。

彼らが子供時代、親や教師から受けてきた教育は、やはり他人を蹴落とす競争を奨励するものだったろうし、体罰だって、疑う余地のない教育手段として振るわれていたはずです。

つまり、彼らはそれらを、ごく当然の、疑う余地のない教育手段として教えられてきた。それに反するやり方は、間違った教育であった。いや、そもそもほかのやり方は、存在すらしていなかったのかもしれません。

それらを常識として吸収しながら、彼らは育ち、教師になったのです。なら、競争の強要を疑うはずもないし、体罰を疑問視することもないでしょう。それらは、「当たり前」なのですから。

かつて、体罰は当たり前の教育という時代があった。そんな時代に生まれ育ち、それを疑うことができないほど、体罰を常識として内面化してしまった世代がいた。

だから、僕を不快にさせた教師たちも、一歩引いて考えれば、「時代の被害者」なのではないか、と思うのです。だからって許す気にはなれないし、思い出すたび腹が立ちますけどね。

僕が子供だったころの教師たち。「気合いと根性」といった精神論の押しつけも普通のことで、些細なことで怒鳴りつける人、喜怒哀楽の「怒」しか持ちあわせていないような、真顔からしてすでに怒っている人なんかもいました。

彼らのことは嫌いだし、2度と会いたくはありません。思い出すだに当時の不快感がよみがえります。

でも、彼らも同じようなことを、子供時代にされてきたのです。そのせいで、それが「当たり前の教育」だと思い込んでしまった。嫌いだけど、同情の余地はある。

たまに、女性差別発言をして、世間から叩かれる中高年男性がいますよね。彼らだってそうですよ。彼らは、男尊女卑が当たり前の時代に生まれ、それを常識として吸収しながら大人になったのです。

現在では、「女より男のほうがえらい」と言えば、「何をバカなことを」と批判されます。でもそれと同じように、「男女は平等だ」と言ったら、「何をバカなことを」と批判されるような時代が、かつてあったのです。女性差別発言を許してはならないけど、同情の余地もある。責めるべきは彼ら自身ではなく、間違っていた時代のほうなのではないか。

さらに一歩引いて考えると、僕自身もこの刷り込みから無縁ではないのかもしれないのです。「イヤだイヤだ」と思いながら受けてきた、体育会系の、体罰当たり前の教育。ひょっとしたら、僕もまた、その教育の影響を受け、わずかながら内面化してしまっているのかもしれない。まだ体罰が黙認されていた、移行期に育ちましたからね。

僕もまた、自分が嫌っていた教育から、無縁ではないのかもしれない。だとすると、より良き教育は、後続の世代に託さねばならないでしょうね。

僕が親世代の教師を、悪い見本として乗り越えたように、後続の世代もまた、僕を乗り越えて行くべきなのです。そうすることで、より理想の教育に近づいてもらわねばならない。

我々は、まだ過渡期にいる。頼むぜ、後続。